
それぞれは中国宋時代から描かれてきた梅・竹・蘭・菊
四つまとめて「四君子」という名称が生まれたのは、中国明時代に刊行された画譜(絵のお手本)で、『八種画譜』にまとめられているものの一つである『梅蘭竹菊四譜』の序文からとされています。
『八種画譜』が出来たのは、1570年代から1620年代。
中国の長い歴史から考えると、意外と最近の話なんですよね。
明以降、清時代に刊行された代表的な画譜の一つ『芥子園画伝』にも梅・竹・蘭・菊の絵は収録されています。
『八種画譜』や『芥子園画伝』のように、明~清時代につくられた中国画譜は、海を渡って江戸時代の日本の絵師達も目にするようになり、
当時の日本においても、梅・竹・蘭・菊のモチーフや「四君子」の考え方が広く定着していったのです。
しかし「四君子」という名前…戦闘モノのグループ名みたいでカッコ良いですよね~
【参考文献】
・福岡市博物館 アーカイブズ 企画展示 No.572 四君子 ―高潔なる植物画―
https://museum.city.fukuoka.jp/archives/leaflet/572/index.html【用語出典】
・「四君子」(百科事典マイペディア)
https://kotobank.jp/word/%E5%9B%9B%E5%90%9B%E5%AD%90-72904
※ウェブページの閲覧日は2025年5月22日

