
渋谷を散歩している時にみかけた芭蕉碑
渋谷駅近くの宮益坂沿い、大都会の町並みの中にさりげなく存在している御嶽神社

階段をのぼって拝殿に向かうと、境内の中にひっそりとその碑は建っています。

大量の小銭がお供えされている…
碑の裏面をみれば、この碑は文化8年(1811)に栗庵宇橋の俳諧グループが建てた碑であることがわかります。
栗庵宇橋という人物については、詳細は不明ですが、『なみの芲』という自筆の俳諧紀行文や、『小君集』という句集が残っていることから、江戸時代後期の俳人だったことがうかがえます。
『なみの芲』(東京大学総合図書館蔵)↓
https://doi.org/10.20730/100420168
『小君集』(東京大学総合図書館蔵)
https://doi.org/10.20730/100411831
※いずれも2025年12月25日現在、国書データベースより
ついでに言うと、東京大学総合図書館蔵の『小君集』には、冒頭に後世に記された栗庵宇橋の概略が書いてあって、それによると、栗庵宇橋は但馬(現在の兵庫県北部)の出身で、俳諧は青蘿(=おそらく松岡青蘿)に学び、江戸に出てきて文政11年(1828)まで生きたのだとか。
さて、碑に刻まれた句は
「眼にかゝる 時や殊更 さ月不二(眼にかかる 時や殊更 五月富士)」
五月晴れの時にながめる富士山の美しさをうたっています。
この句は、芭蕉の上方へ向けた最後の旅路を記した『芭蕉翁行状記』の中で、箱根の関を超えたあたりで詠んだものとして収録されています。
あれ…じゃあ宮益坂は関係ないの?と疑問に思うところですが
宮益坂は、江戸時代には「富士見坂」と呼ばれていたこともあるくらい富士山が見渡せる場所であったということですので
箱根と同じく富士見の名所であることを示すため、富士山の美しさを詠った芭蕉の句を刻んだのでしょう。
ちなみに、碑の裏に記された建碑の年代は「文化八年の五月」。
まさに、五月富士の句を刻むベストタイミングといえますね。

【参考文献】
・芭蕉DB「目にかかる時やことさら五月富士」
https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/fuji1.htm
・渋谷区「通りの名前」
https://www.city.shibuya.tokyo.jp/bunka/bunkazai/bunkazai/street.html
※いずれも2025年12月25日現在

